闇の中の瞬く光

15日は、高木正勝のコンサートへ。前の日が例によって夜勤で、連れに起こされるまで寝てた。危なかった。

朝から、何も食べてなかったので、かなりの空腹をがまんしつつ地下鉄の駅へ急ぐ。駅でパンを食べると、空っぽなのに加えて、前日に飲んだコーヒーで荒れに荒れていた胃が悲鳴を上げるも、会場に着くころには何とかおさまってくれた。
チケットを先行で取ったのが良かったのか、かなり前の席だったのだが、座ってみると予想以上に近い。以前、連れと映画に行った時に、前の席しか空いてなくて、スクリーンが近すぎたために気持ち悪くなってしまい、途中で席を立ったことがあったので、そこが気がかりだったが杞憂に終わったので良かった。
2年前のライブと、去年のSense of Wonderの時の編成からは、パーカッションが二人に増え、男性のボーカルが加わったことにも表れているように、かなり骨太で民族音楽色が強い音になっていた。また、同時に民族音楽が本来持ち得ている、スピリチュアルな部分も同様に色濃く感じられたのが印象的。骨太になった分、girls等の繊細な曲も映えていたし。映像は神秘さを増し、美しいというよりは、むしろ怖いとか気持ち悪いものだったり、粒子が荒く見づらいもの等、見る側を引き離すような映像だったが、何か以前の作品には無い不思議な美しさが、見え隠れしていたように思う。「美しさ」が宿るのは、「美しいもの」という訳ではないのだな、なんて偉そうに考えてみたり。
しかし、始終圧倒されっぱなしのコンサートだった。洞窟の中のような、海に取り残された船のような舞台演出も素晴らしかった。


帰りにラーメン食べたら、椎名林檎の「加爾基 精液 栗ノ花」が流れてて、太い麺と良い組み合わせだなーと思った。