「私はまわりを見渡したが、神は見当たらなかった」

「流行り」というか、新しく出てきた音楽っていうのは、一過性のものに感じることが多いので、ほんの数握りしか買わないか、買ってもすぐ売ってしまったりしていたのだけど、最近、友達と会って、去年あたりに出た、人気のあるものをまとめて貸してもらえた。結構、長く聴けそうなものがいくつかあった。自分は、聴きこまないうちに、次を聴いてしまうという、浮気性なとこがあるので「もっとちゃんと聴かなきゃな」、と少し力んで聴くくらいの方が良いのかもしれん。雑誌などは音楽よりも、「そのアーティストの持つキャラクター」や、「曲がどう産まれてきたか」、を伝えているものだ、と感じるから買わなくなったのかも。しかし、あまりCD買わなくなると思いきや、むしろ昔より出費しているというのは、どういうことか。

100sの「モノアイ」を試聴した。あまり、期待してなかったけれど、思いのほか良いと感じた(前作はあまりピンと来なかった)。中村一義の作品というのは、気分が合わない時に聞くと、本当に合わないが、気分が合うと本当にしっくりくる。「自分にとって必要な時に、必要な言葉が聞こえてくる」って連れが言ってて、なるほど、と思った。



まったく関係ないけど、ガガーリンの逸話が面白かったから、メモ。

ガガーリンの地球周回中の言葉として報道され、有名になったものとして「ここに神は見当たらない」というものがあるが、地上との交信記録の中にこの言葉は出てこない。他に 「私はまわりを見渡したが、神は見当たらなかった」という表現でもよく引き合いに出されるが、出典のはっきりしない言葉である。
ガガーリンの親友であった宇宙飛行士アレクセイ・レオーノフは著書"Two sides of the moon"(『アポロとソユーズ』、p295)の中でガガーリン自身が好んで語ったアネクドートとして次の話をあげている。おそらく、この中の言葉が彼自身の言葉として一人歩きしているのではないかと思われる。

宇宙から帰還したガガーリンの歓迎パーティにロシア正教モスクワ総主教アレクシー1世が列席しており、ガガーリンに尋ねた。

総主教「宇宙を飛んでいたとき、神の姿を見ただろうか。」
ガガーリン「見えませんでした。」
総主教「わが息子よ、神の姿が見えなかったことは自分の胸だけに収めておくように。」
しばらくしてフルシチョフガガーリンに同じことを尋ねた。総主教との約束を思い出したガガーリンはさきほどとは違うことを答えた。
ガガーリン「見えました。」
フルシチョフ「同志よ、神の姿が見えたことは誰にもいわないように。」(レーニン主義は宗教を否定している)

(ユーリイ・ガガーリン 出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』)




ちょっと、だらけたり、落ち込んでしまったりしていたので、しっかりしよう。